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【久米島ひとり旅】 ざっくり歴史と観光

◆◆この記事の概要◆◆

◆久米島の「ざっくり歴史」
「地質」島の経緯とミーフガー
「人と文化」石器時代~明治時代
「戦争」第二次世界大戦
「食」車エビ
「他の離島とは違う水資源」

◆私のおススメ居酒屋「海坊主」
期間限定 活きた車エビの刺身ゼッピン!
〒901-3108 久米島町字比嘉150-31
TEL 098-985-7887

「アクティビティ」
◆おばけ坂・錯覚により上り坂をのぼっていくように見える坂

◆スキューバダイビング 
https://www.shirahama-marine.com
ダイビングセンターSHIRAHAMA
久米島町字謝名堂548-17
TEL 098-896-8787

◆宿泊 リーズナブル
ふくぎ荘
〒901-3107 久米島町謝名堂548-10
TEL 098-985-8622

◆はての浜
https://activityjapan.com
「グラスボートで行く!はての浜半日ツアー」
有限会社エスコートツアーズ
時間 9:30~12:30  送迎あり
料金 大人3000円 小人2000円
三つの浜のうちの「中の浜」行き
半日でちょうど良い
傘・日焼け止め(必須)
絶対に行った方が良い!!

                  以上   

本当の意味で旅行を楽しむためには、その地の歴史や魅力などをしっかりと調べてから、観光すると数倍は楽しむことができるのではないでしょうか?

ただ、美しい景色を見て「きれいだね」とお互い共感し合うのもステキですね。

ですが、そのもっと奥深く、もしかしたら目を覆いたくなるような悲しい出来事。
その地を統治した支配者。
今は穏やかな風の吹く城跡。
「兵どもが夢の跡、諸行無常の響きあり」とでも言うのでしょうか…。
ピッタリですね。

未熟な私ではありますが、久米島の魅力や歴史について非常に簡単ではありますが、記事をまとめました。これから久米島へ旅行に行かれる方が少しでも楽しむことができる情報になれば幸いです。

地質

約1500万年前に起きた火山活動。その後も続き久米島が形成されていきます。
沖縄の島としては、めずらしい火山岩が主体で、地質学的には他の島とは違う区分に属し、地質学者がよく訪れることでも有名です。

◆ミーフガー

ミーフガーは割れ目を境に、左側が石灰岩、右側が凝灰角礫岩(ぎょうかいかくれきがん)からできており、周囲の磯にある石灰岩は、約6000年前に「縄文海進」海面上昇によりできたサンゴ礁がもとになっています。
ミーフガーとは沖縄方言で「女岩」を意味し、割れ目の穴は女性器として崇められ、子宝に恵まれると信じられ、多くのカップルが訪れます。

割れ目の中に入っていきます
割れ目上部の様子
向こう側の様子 潮が引いています

人と文化

人間が住み始めた歴史も古く、下地原洞穴(しもじばるどうけつ)で15000~20000年前の乳幼児の人骨が見つかっており、旧石器時代に人が生活していたことは分かっています(下地原洞人)。どの様な文化であったかは定かではありません(洞穴は久米島北西部 海抜40mに位置します)。

久米島では、清水貝塚・北原貝塚から縄文時代~弥生時代の土器が出土し、いっしょに漢時代の五銖銭(ごしゅせん)が見つかっており、中国との貿易があったことがうかがえます。
五銖銭とは、古代中国に流通した貨幣で、BC118年に前漢の武帝(漢武帝=漢帝国の七代皇帝で、わずか16歳で即位する)により、初めて鋳造(ちゅうぞう)されました。

久米島が文献に現れるのは、続日本紀(しょくにほんぎ)で、714年に来朝した球美人と書かれていますが、久米島の人と考えられています。その「球美(クミ)」とは琉球の方言で「米」を意味し、久米島の由来は米から来ているほど、かつては米の生産が盛んでした。

続日本紀(しょくにほんぎ)=日本書紀に続く勅撰(ちょくせん)、つまり天皇・上皇の命により情報を集め書物にまとめた歴史書。697年~791年の95年間の国の歴史が記されています。

水が豊かだった久米島は古くから稲作が盛んで、その農業を中心に、小さな部落が作られていきます。

部落は守護神を祀る御嶽(うたき)を選定し、選ばれし女性が根神(にーがみ)として、病気や災難などから逃れるため、神に祈る加持祈禱(かじきとう)を行い統治し、中国との貿易も行い、独自に発展を遂げていきます。

御嶽(うたき)を選定する条件として、高く秀でたクバの木・アザカ・シキヨが生い茂った森や木々がある所で、いずれも聖なる植物とされています。

クバ=ヤシ科の常緑高木ビロウ(蒲葵)で食べることもでき、タケノコの様な味だといわれています。

アザカ=常緑低木アカネ科で、和名はボチョウジ・ナガミボチョウジ。

シキヨ=ススキ・カヤなどで草の部類。

14~15世紀ごろ、按司(あんじ)と呼ばれる豪族が久米島に来て統治を始めます。 
按司(あんじ)の中でも特に権力をもっていたのが、伊敷索(ちなは)と呼ばれる親子三人の豪族。
中国との貿易も盛んになり、独立国家として久米島で栄華を誇るも、本島統一した尚氏(第1尚氏である尚巴志王・しょうはしおう)によって終焉を迎えます。
按司(あんじ)は地方の支配者の称号でしたが、第2尚氏王統治下になると、王族の称号となっていきました。

その後、琉球王朝政治に組み込まれ、王朝トップの聞得大君(きこえおおきみ)と三十三神女のピラミッド型組織に久米島の神女、君南風(ちんべー)も加わり、祭事集団の組織化が進みます。

王朝政府の重税に苦しむも、久米島は他の離島よりは豊かであったようです。

明治政府の廃藩置県により、沖縄県となり、36代、690年続いた琉球王国は終焉を迎え、神女のピラミッド型組織も崩壊するも、久米島の君南風(ちんべー)は今も続くこととなりました。

◆具志川城跡

少ない時間で私がまわれた城跡、具志川城跡は伊敷索(ちなは)一族が三男。

「あおりやへが節」説明

この謡は具志川城と城を築いた按司を称賛したオモロで「具志川城を見事に築いた優れた按司よ、この城は唐(中国)や大和(日本)の船が、酒や黄金を持ち寄せる素晴らしい城だ」という意味です。具志川城が交易を行い栄えていた様子がうかがえます。

オモロとは12~17世紀にかけて謡われてきたと考えられる古謡歌です。

「トートー石」説明

稲の豊作を感謝する、6月ウマチー(旧暦6月25日)の「グシクヌブイ(城登り)」の際に、久米島の最高神女である君南風(ちんべー)が座する石のことです。

トートー石があるこの場所は、神聖な祭祀行事の場となっています。

階段をのぼっていくと、ひとりのご老人と…。

「上に美女が二人いましたよ」

「??…おー、それは良い情報をいただきました。さっそくナンパしなくては…」

てきとうに話を合わせると、

「わたしは、こういう者です」

杖を差し出してきたので見ると、「久米島仙人」と文字が彫られてありました。

「??…久米島仙人」

「わたしを知らないんですね。キチンと調べておくように…」

上から目線でそう言い、去って行きました。

有名な方だったのか?

検索しようと思いましたが…、

美女にしか興味ありません。

ごめんなさい(泣)

戦争

久米島は地上戦こそなかったものの、空襲により防空壕へ逃げる日々をおくっていました。
本島では組織的戦闘が終わった後、1945年6月26日に米軍が久米島上陸。
だが、久米島の人々は誰ひとりそれを知る者はおらず、米軍に敵意と恐怖を抱いていました。
そんな中、那覇で捕虜となっていた仲村渠明勇(なかむら めいゆう)が自ら案内役となり、無駄な闘いを避けるため米軍は無害である事を、山に隠れていた島民に投降を呼びかけてまわり、無駄な戦闘もなく、受け入れた久米島の人々と美しい自然は守られました。

しかし、それを許さぬ者が…。

日本軍 鹿山正隊長はスパイの容疑で20人の島民を虐殺、家に火をつけたのです。
その中に、久米島を救った、仲村渠明勇(なかむら めいゆう)も含まれ、無残な姿でみつかりました。

なぜ、同じ日本人が…。

戦後約80年、久米島を救った人物がいたことを語り継ぐ人は少なく、移り変わりゆく時代という波と共に少しずつ忘れ去られてゆく…。さみしいことです。

中村渠明勇(なかむら めいゆう)

【写真】
https://www.qab.co.jp
5channel
CATCHY キャッチー
「久米島町史が語る島の戦争」
より

戦争の悲惨さを知る、数少なくなった方々の貴重な話の中に、実際に中村渠明勇さんに声をかけられ、助けられたことが、詳しく語られています。

車エビ

久米島には天然の車エビはいないため、九州より仕入れ、1970年頃養殖が始まりました。
試行錯誤を繰り返し、現在では日本一の生産量15%を誇り、生産量だけではなく、旨味にバラつきがなく高級食材としての威厳があります。

その秘密は海洋深層水にあります。

海洋深層水とは、水深200m以上で、約2000年もの時間をかけて地球を循環している海水のことで、久米島では水深約600mのものを利用しているため、ミネラルが豊富で、陸や大気による汚染の影響もほぼなく、微生物も10分の1程と少ないため、良質な車エビへと成長します。

ブラックタイガーは別物で、やや大きめサイズ。正式名称は「ウシエビ」といい、タイ・東南アジア諸国からの輸入品が日本で食されていますが、繊細なうま味の車エビに対し、大味で臭みも強いのが特徴です。

食用エビの中では、車エビは最高峰のランク付けをされており、伊勢エビと並ぶ高級食材で、「匂い松茸、味しめじ」ならぬ、「見た目 伊勢エビ、味 車エビ」といわれています(字余り)。
出荷時期は11月~5月で、この時期に堪能すると良いでしょう。

◆「ちょっと一杯」久米島の居酒屋

久米島には美味しい居酒屋が多くあるようで、飲兵衛の私にはありがたいことですが、すべてのお店で飲むことができないので情報としては薄いですが、二軒のお店で飲むことができました。

一軒は人気の「波路」さん、もう一軒が「海坊主」さんで、どちらも美味しい料理をいただきましたが、この記事では「海坊主」さんのことをあげていきたいと思います。

店構えはこんな感じで個性的です。
ひとりカウンターに座ると、とても感じの良い女将さんが話をしてくれて、楽しく飲むことができました。
料理もとても美味しく、「この店を選んで良かったなー」と思いました。

「お通し」もこだわっていて、島豆腐が良かったです。
沖縄県はイカ墨を使った料理も多く、「イカ墨チャンプルー」は見た目と違い、やさしい味付けとなっていました。
知らなかったのが、「久米島赤鶏」です。
「フランス原産レッドブロー種」で地鶏ではありませんが、うま味と弾力のある肉質で、島のブランドとして力を入れていることにうなづけます。

そして、久米島といえば「車エビ」。
今年最後の「刺身」をすすめられたので注文すると、なんと!活きていました。
食すと…(@_@)う・ま・す・ぎ・る~‼
うまく表現できませんが、久米島に行ったら是非とも「活きた刺身」を味わっていただきたいです。
「塩焼き」はまた違った食感と繊細で上品なうま味があり、高級食材としてうなづけます。

一杯サービスでいただきました。
女将さんが搾り出して作った、自家製の「パッションフルーツのカクテル」。
フルーツ系は好みではないので気がすすまなかったのですが、なんとも爽やかで、薄汚い私の心が清廉されていくような感じがしました。
少し大げさですが、こちらもおすすめです(期間限定)。

めずらしいビールを発見。
ロート製薬の「久米島海洋深層水仕込みのクラフトビール」だそうです。
612は海洋深層水の水深をあらわしています。
真っ青ですね…。
味は…個人的にはですが、話のネタにはなるかと…((笑))

他の離島と違う水資源

水が豊かな理由

森林の水源涵養機能(すいげんかんようきのう)、つまり水資源の貯留・洪水の緩和・水質の浄化・雨水の川への流出量平準化・美味しい水を作り出すといった、山や森林の働きのおかげだそうで、小さな島のわりには山が多く感じます。
湧き水もダムもあり、夏でも水を切らしたことが無く、かつては稲作が盛んであったことがわかります。

アクティビティ

◆おばけ坂

「おばけ坂」この名前に心うばわれて来てしまいました。
なんだか怖いですね…。
夜になると美しい女性の霊が立っているのでしょうか?
ものすごい傾斜の坂なのでしょうか?
それとも…。

結論からいえば、車をニュートラルにすると「目の錯覚で上り坂をのぼっていく」ということらしいです。

入り口は0.7㎞先から標識があります。

古い標識がなんだか怖い!
おばけ坂入り口
0.7㎞先

詳細が書かれた掲示板です。

おばけ坂

若い男性諸君が、楽しそうに遊んでいました。
ためしてみると、おもしろそうですね。

◆スキューバダイビング

久米島というとイロイロ魅力がありますが、ダイビングでも有名です。
宿泊は「ふくぎ荘」さんで、目の前にショップがあり宿泊代も良心的(一泊5000円)で楽でした。
この旅では、「ダイビングショップSHIRAHAMA」さんにお世話になりました。
たいした経験を積んでおらずブランクもあり、手取り足取り面倒を見ていただき感謝しております。
「泊フィッシャリーナ」より出発です。

泊フィッシャリーナ
タッチしました

この日は、「はての浜」付近のポイントで、3ダイブしました。

はての浜

    ポイント

1ダイブ  シチューガマ
2ダイブ  アカ下
3ダイブ  ウーマガイ

私です(^^)v

久米島の海は美しいです。
ダイビングでなくても、シュノーケリングでも最高!
短い一生です。
是非とも体験してください。
自分の中で、何かが変わるはず…。

◆はての浜

久米島の観光名所で外せないのが「はての浜」です。
「前の浜(メーヌ浜)」・「中の浜(ナカノ浜)」・「果ての浜(ハティヌ浜)」と三つの島にわかれており、ほとんどが「中の浜」へ上陸します。
「中の浜」には簡易トイレが一つと、シーズンになると飲み物やパラソル貸出もしています。
こだわりのある人は、「果ての浜」いちばん奥の島に上陸するそうで、そのようなプランもあるようです。
今回はブログを作りたかったので、時間短縮で外そうと思っていました。
気乗りしませんでしたが、せっかく久米島に来たので行くことにしました。

有限会社 久米島エスコートツアーズ
【グラスボートで行くはての浜半日ツアー(中の浜)】
大人3000円・小人2000円
9:30~12:30 送迎あり
はての浜にてフリータイム 1時間30分
(ちょうど良い時間です)
帰りは空港まで送迎(助かりました)

「泊フィッシャリーナ」から約30分。
スタッフの方の話がおもしろく、乗客全員笑っていました(なかなかのトークです)。
「中の浜」上陸!


「海坊主」の女将さんに「地獄だから…」と、傘を持って行くようにいわれて、日傘替わりにと…。
風が強すぎて逆さになってしまう。
他の女性客も日傘が反対になってしまい、傘作戦は失敗に終わりました。
やっぱ「日焼け止め」塗っておいて良かったです(日焼け止め 必須)。

美しい…感動です…。
来て良かった。
やっぱり「はての浜」は絶対に行った方が良いです!!

最後に!

他の離島とはまったく違う地質を持ち、水資源が豊かで稲作が盛んとなり、いつしか按司という豪族の統治下のもと、滅んではまた別の勢力の統治下へと…。
第二次世界大戦では、中村渠明勇に島民と美しい自然は守られました。
そして私たちの世代から次の世代へとバトンが引き継がれていくことでしょう。
久米島は歴史も深く、観光スポットが多いです。
サラリーマンには限られた時間しかなく、特にダイバーは海へと行ってしまうため、なかなか普通の観光スポットへは行きにくいです。
このブログに掲載できたのは、ほんの一部に過ぎず、久米島の魅力はこんなものではありません。

仕事でのストレス、家庭の悩み…。
人生イロイロありますが、美味しい料理。
そして美しい海を見つめて、心を癒して頑張りましょう!

つたないブログでしたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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